小学校 それは小さな社会を鑑賞した感想

今日2025年1月27日、「小学校 それは小さな社会」というドキュメンタリー映画を映画館で見てきたので、感想を書きます。

経緯

前に大きな家という映画を見た。その「大きな家」を見に行った後に、大きな家のTwitterアカウントがこの映画を紹介していたので、そこから知って「中学も卒業するし、小学校の振り返りの意味合いも込めて見てみようかな?」と思い、見た、という流れ。

大きな家は児童養護施設のリアルを撮影したドキュメンタリー映画。
この小学校 それは小さな社会も、コロナ禍の間に1年生と6年生の複数の児童に焦点をあてて撮影したドキュメンタリー映画。

家族に内緒でネットでチケット買って見に行った。不登校中3の私がこんな映画見ると心配されそうだったし、そもそも一人で電車乗って映画見に行くのも認められなさそうだった。一緒についていくって言われそうだったから。

純粋な感想

※ネタバレ注意。もし映画自体に興味があるのであれば、以下は鑑賞後に読んだ方がいいと思います。鑑賞後のほうが以下の感想も何倍も面白く見れる。

まず、公式サイトでは映画を見た外国人が小学校の教育を賞賛しているのをアピールしてた。だから、「日本の小学校っていいな」って感想になるのかなと思った。
だけど、全然違った。私はこれを見て「小学校っていいな」とは思わなかった。むしろ真っ先に上がってきた感想は「教育って難しいな」かな。

案の定、鑑賞中は何度も泣いた。泣いた場面と理由は様々で「先生が苦労し試行錯誤している」「1年生なのに責められて可哀想」「成長してるなあ」とか。

泣いたけれども、小学校に対して肯定的な意見は持てなかったし、単なる「感動的な映画」で片づけられるものでもない。

自分は中学生の初めから不登校になったので、小学校は通いきったわけですが、その上で「1年生ってこんなに厳しかったかな?」って思いました。

特に印象に残ったのは、1年生が新1年生を歓迎するために楽器を弾くことになった場面。

楽器が全然できなかった児童1人を先生が責めて、他の児童に「なんでみんなはできるの?」→児童一同「きちんと練習してるからです」、「オーディションに受かったらそれで終わり?」「泣いても仕方ないでしょう(※微妙にニュアンス違うかも)」的なことを言って泣かされていた。胸が痛くなった。

その後無事に楽器を演奏できて、先生に褒められる、って流れなんだけれど、さすがにこれは気持ちが悪くなったかな…。なんか洗脳に近い感じ…。だし、イジメの原因を作っているような。というか、他の児童に「きちんと練習してるからです」って言わせるのって、イジメそのものな気がする。

という不満はあった。自分が小学生のときもそこまでのことはされていない。いやまあ公開処刑みたいなことは何度もされたけど。

小学校の悪いところってまさにそれで、なんでも「集団責任」「公開処刑」の傾向が強すぎる。集団のミスならまだしも、個人のミスなら、あとで呼び出して1対1で𠮟ればいいだけなのに。公の場で自分1人だけ𠮟られた児童は、自己肯定感がすっごく下がる。そしてその自己肯定感がガクッと下がって精神的に弱った後に気持ちが良くなる言葉を投げられるとあっさり色々な形で洗脳される。本当に恐ろしいなと。

実は自分も同じ経歴をたどった。小学5・6年生のときはそのような先生が担任で、何度も公開処刑を受け、自己肯定感が下がった。でも、時折その先生は私のことを小さなことで褒めてくれたので、その先生のことを好きになり、「先生が悪いのではなく自分が悪かったのだ」と思うようになった。これを自分は「洗脳」と捉えてる。

それで小学生は苦しかったけれども乗り越えたのだが、褒められたことで自己肯定感が元に戻ったわけでもなく、中学生になり、小学生で自己肯定感が下がったところに更に自己肯定感が下がるイベントが発生しまくり、耐えられなくなって不登校に。その後、小学生のときの洗脳に気づけた。

もちろん、「自己肯定感が低下するようなイベントを発生させる自分が悪い」と言えばそうかもしれない。𠮟られることを最初からしなければいいのかもしれない。環境のせいにしてはいけないのかもしれないし、実際私は自分も悪かったとも思ってた。でも、この映画を見て確信した。やっぱりこんな𠮟り方は間違ってるのではないか、と。

映画の中の話に戻すが、少なくとも言えるのは、この映画の小学校を「平均的」と思わないほうがよいと思う。3年前に私が通ってた大阪の小学校よりも遥かに窮屈に感じた。

けど映画自体の存在意義はあったと思う。色々考えさせられる。日本社会・保護者にとっても日本の教育を再考できるいい機会。

ただ、「6年生のこれ言わされてる?演技?」みたいな場面は少なからずあった。少なくともカメラを向けられているので、登場人物の全員が純粋な気持ちとは限らない。

自分の純粋な感想としてはこんな感じ。

他の人のレビューを混ぜての感想

映画レビューサイトを見ると似たようなことが書いていた。

「小学校という舞台を通して、日本が世界に誇るべき美質、一方で同質的で排他的なムラ社会、がどう生まれるのか、見せてくれるドキュメンタリーでした。」

「ここまで管理型なのは今時珍しいし、このやり方を礼賛するのはとても危険」

「1年生のための合奏の練習で、ミスばかりする児童を叱るシーンで、初めは厳しく指導し、励まして、出来たら誉めるというのは昔の学校で良くあった。いくら子供が喜び、成長したとしても、私はこういう指導は好きではない。はじめから個別指導を丁寧にしてほしい。」

「この映画は、日本の小学校を外国の人や保護者に紹介するのにはよいが、これが全ての小学校で同じように行われているわけではないし、コロナ後はますます多様化しているはずである。」

引用:
https://eiga.com/movie/100314/review/04710083/
https://eiga.com/movie/100314/review/04676202
https://eiga.com/movie/100314/review/04660419

また、鑑賞後にホームページをもう一度見てみた。

「いま、小学校を知ることは、
 未来の日本を考えること。」

そして、監督は日米両方の教育を経験したらしい。

ということは、もしかしたら、監督はあえて”あの公開処刑”のシーンを入れたのかもしれない。日本の教育について、日本人の鑑賞者に考えさせるために。

思えば、

「ふざける1年生の児童に児童同士で注意しあうシーン」
「運動会の縄跳びがうまく跳べない6年生の児童に、ペアの子が指摘するシーン」

あれも、児童が日本式教育を施され、日本人に染まっていることの証拠。
あの場面で、「日本人らしさ」を強調させていたのかもしれない。

私は見方によっては傑作だと思った。「小学校の在り方」「日本人とはなにか」について考えさせられるからだ。

同時に、私は中学生から不登校になって正解だったのかもしれない、とも思ってしまった。

本当に深く考えさせられる傑作だった。
ある人、例えば外国人から見れば、新鮮さばかりに目が行き「日本の小学校はすごい」と感じるが、
他のある人から見れば、「小学校は素晴らしい」とはならず、「立場の違いで賛否両論を巻き起こすような、考えるキッカケ」になる。
立場によって見え方が変わる、そんな映画なのだから。

最後に

本当に、ある意味では良い映画でした。見に行ってよかった。小中高生の保護者の方には、ぜひお勧めしたい映画。
逆に、私は大丈夫だったけど、現在進行形で不登校の子が見ると辛い部分はあるかもしれない。私はこうして整理ができたからプラスだった。

この映画がきっかけで、少しでも日本の教育について考える人が増えるといいな。

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